岳温泉の歴史

岳温泉は復興100周年を2006年に迎えました。

ここでは、岳温泉にまつわる歴史をお話したいと思います。

山崩れ、戦争、大火といった天災人災で遷移を繰り返してきた岳温泉です。
今の岳温泉は、先人の命で繋がれていると言っても過言ではないでしょう。
自然に湧き出る湯を大切にし、災害や火災への高い意識を保ち、地域と地域民を尊ぶ姿勢はここから生まれていると思います。
尋常じゃない程の深い温泉掘削を無理やり行い、副産物で出たガスが爆発して死者が出るような ”利益事業” はなくていい。
今あるモノを否定はしませんが、マネー&パワーだけで温泉のような自然の恵みを利用するだけでは、いつかしっぺ返しがあると思いませんか。
『温泉は人を殺すモノじゃなく人を癒すモノのはずだよ、学んでないの?』…と先人たちは言ってるような気がしてならないのです。

陸奥の岳温泉全景(江戸時代後期)

右図は陸奥(江戸時代後期)の岳温泉全景です。

先々代の岳温泉が失われた理由は、江戸時代終焉の折に戊申の役で二本松が敗北した際に、岳温泉が官軍の会津討伐基地にならぬように自ら火を放ったのです。

戊辰戦争のドラマなどには描かれない哀しい歴史です。


陸奥の岳温泉全景(江戸時代後期)

文政7年(1824年)

岳温泉は今の地に移る前、深堀温泉と言いました。
それ以前から深堀村という集落があり、そこに移すのが良いだろうと当時の方々の判断があったからです。
その深堀村には、1824年にまで遡るような温泉と村との関係がありました。

観音像 写真はその当時に建立された慰霊のための観音像は、数十人もの名もない湯女(-ゆな-今で言えば風俗嬢)たちが命を落とした歴史があり、 彼女たちの安らかな永眠を願って建立されたものです。

旧暦1824年8月15日(新暦-太陽暦-では10月7日)に惨劇は起こりました。
その頃の岳温泉はあだたら山頂近くの源泉付近にあり、当時は貴重だった殺菌力の高い酸性泉とたくさんの湯女たちの存在が相まって、とても栄えていたそうです。
今から183年前の秋、そんな岳温泉を大規模な山崩れが襲い、人々を生き埋めにしたのです。

観音像 記録によれば死者63人、怪我人46人、助かったのは87人と記されています。
しかし、その記録に湯女たちは含まれていません。湯女は人別帳(今の戸籍簿)にも載せられず、正式な被害者として扱われなかったのです。
女性が売られることが当たり前だった時代です、人として扱われなかった女性たちの哀しい現実が岳温泉の歴史に刻まれているんです。
生き埋めになり、正式に供養されず、死んでも誰も悲しまない…そんな不遇な湯女たちを哀れみ、その遺体を深堀村に運んで手厚く葬りました。
観音像とお地蔵さんたちが、その歴史を淡々と今でも伝えています。

深堀村は今の岳温泉街から歩いても10分程です。
観光ポイントにするような楽しい歴史ではないですが、岳温泉復興90周年の際に、この歴史を伝える看板を立てました。
散歩中にその場所を偶然にでも訪れたなら、手を合わせてあげてください。

文政7年 岳山変事供養観音:看板

明治36年(1903年)

1906年に今の地に岳温泉街が復興されたのですが、その3年前の1903年9月20日に旧岳温泉(深堀温泉)は大火により消失してしまいました。

故に、岳温泉の住人たちは火事にとても敏感であり、防災意識がとても高いのです。 温泉街の中心にある堀川は、明治時代の都市計画で造った防火用水が一番の用途です。

半鐘 かつての温泉地跡である深堀地区には、当時に使われていた半鐘がそのまま残されています。
今ではモーター式サイレンに取って代わられていますが、火災の怖さを忘れてはならないという備忘録の役割を担っています。

当時は消火設備も乏しかったでしょうし、木造家屋ばかりですから、火のまわりも早くて本当に怖かったでしょう。
こればかりは体感してみないと分からないことだと思います。 故に”対岸の火事”という言葉が生まれたのではないでしょうか。


温泉地跡の石垣 100歳を超える人が現存しているはずはなく、その当時の大火を記憶しているのは、この半鐘と温泉地跡の石垣ぐらいです。
今では石垣周辺は植林されて、当時の面影は全くありません。 あの大火がなかったら、今でのこの地に温泉場が栄えていたのかもしれません。

この大火の時のエピソードが一つ。
次々と旅館や民家が炎に飲まれていく中で、一軒だけ火が移らず残っていた旅館があったそうです。
その様子を見ながら、その旅館の旦那さんは苦悶していたといいます。
『オレのところだけ助かってはみんなに申し訳が立たない…』
そうこうしているうちに火は最後の一軒にも移り、結局は全てを焼き尽くしてしまった。
最後に火が移った様子を見た旦那さんは、『あぁ、これで皆に申し訳が立つ』と安堵したといいます。

温泉地が一軒の旅館だけで成り立つ訳ではないと、当時から知っていたからに他ならない気持ちでしょう。
温泉地という地域は、命を継ぐ団結力がなければ存続できない不思議な存在です。もちろん今でも…。